泣くなよ。

うそ。泣いてもいい。好きにしていい。っていうか泣け。遠慮せず好きなだけ泣いていい。俺も泣く。率先してベソをかく。

劇場のこと

 「一人映画なんてハードル高くない?」と高校の友達のみっちゃんにはよく言われた。何だよそのハードルって何の比喩だよと思ったけど毎回黙っといた。映画どころか食事もトイレも仲間と同期するのがマナーみたいな時代だったので余計な事を言ってイキがってる奴扱いされるのが面倒だった。
 友達といるときっていうのは友達といるっていう事それ自体を全力で楽しむ方向にアタマが傾いてってしまうので一人のときほど映画に没入はできなくなる。上手く言語化できないけれど心に強く刻みつけられるものがあった映画なんかも反芻するより先に友達との雑談の話題にしなくちゃいけなくなるので自然理解が薄っぺらいままあれこれ言わなくちゃいけないことになるか逆にそれを避けるために「よかったねー」「ねー」と超・表面的なやりとりで「とりあえず映画を一緒に観たぞ」みたいな連帯を意味もなく強める方向に行ってしまってもはや映画観に来たんだかいちゃいちゃしに来たんだかわからない。いや誰かと一緒という時点でその誰かといちゃいちゃしに来たことになるに決まっているんだからやはり本当に映画を観るには一人であった方が断然都合が良いのだ。
 でもみっちゃんにそんなこと言えたもんじゃない。食事もトイレも塾も宿題の進捗状況も誰かしらと同期して週末もいっぱいいる友達か或いは彼氏かでなきゃ家族と遊びに行く計画を必ず立ててて一人の寂しさをみじめさと結び付けてめっちゃ怖がってたような子だ。一人には一人の良さが、とか言ったってそれは貧乏にも貧乏の良さが、みたいな話にしか聞こえなかっただろう。

 映画館はいい。気楽だ。黙って入って黙って観て、黙って出て行っても誰にも文句を言われない。むしろそうじゃない方が睨まれやすい。これが観劇やコンサートだと絶対そうはいかない。
 例えば劇でのウケどころ、本当に可笑しいとき思わず噴いてしまったりとかは人の大勢いるところで雑音発したわけだからやや恥ずかしい、とはいえ演技とシナリオへの称賛であるので全然マナー違反とかにはならない。厄介なのはその逆で、あんまりウケなかったけど明らかに笑いどころとして演出さんがちょっと間合とか取っちゃったりして時間的空白が生じるような場合には逆に笑うなり拍手するなりが求められていると思ってしまうことがある。これがものすごくうっとおしい。しかしマナーの範疇だと思ってとりあえず拍手くらいはしておく。
 輪をかけてウザいのはそれを更に一歩踏み込んで、「さあ○○を呼んでみましょう!」とか客席にコールを促してくる場合。特に子ども向けのテレビ番組とか物語劇とかでよくある演出で幼稚園ころくらいから人を馬鹿にしていると思っていたんだけど大人になって観劇しても同じようなことやらせるのでああホントにこれで客席のテンション上げられると思ってんだな。とか冷めた事を思ったりする。
 それでも劇ならまだキャラクタの登場を促すっていうエクスキューズが立つけどコンサートで客に歌わせる場合があったりしてアレが本当に本当に我慢がならないくらい嫌いだ。歌くらい自分の好きな時に好きな歌を歌わせろ。そんな一体感なんて求めてない。需要ない。
 第四の壁なんてもう厚みが薄衣くらいだし気軽にブッ壊してナンボのものとしか認識されてないって感じが見え隠れする。ばっかじゃないの? それがどれだけ特殊なことか、どれだけすごいことか誰もわかってない。
 映画はいい。出演者が客席にリアクションを求めることがない。それだけでものすごく自由な気分になる。解放された感じがする。
 ベクトルは真逆だけどライブもいい。席に座ってお行儀よく聞くようなのじゃなくて、主にロックミュージックとかテクノっぽいやつのライブ。観客全員スタンディングで曲に合わせて飛び跳ねてわあわあ叫んで奇声を上げて踊りになってない踊りを滅茶苦茶に踊って盛り上がって遊ぶタイプ。第四の壁なんて最初から存在しない。
 映画館とライブ会場ではあたしは自由だ。周囲に迷惑さえかけなければ好きなようにしていい。映画館ではお静かに、ライブ会場では全力で、を守る限り、自分で自分の思う通りに自分の思ったことを出力していい。
 あたしはそれができない場面が耐えがたいほど嫌いなのだ。嫌いって言うかもはや「許せない」の領域に達していると思う。アレルギー。
 みっちゃんと会わなくなったのも、だからたぶんそういう部分で不満が積もったっていうのが真相だろう。アレルゲンを摂取しすぎて「もう無理」ってなったのだ。
 あたしにはぶっちゃけた話友達があんまりいなくて、その数少ない友達の中でもお出かけに積極的に誘ってくれるタイプの子はみっちゃんぐらいでその意味では非常に貴重な相手だったんだけど、それでもあの子を尊重しようみたいな気持ちを持ち続けることができなかった。みっちゃんはみっちゃんで自分が寂しいのに耐えられないタチだからその延長で同情みたいな感じであたしにかまっていてくれたわけで、元々何かすごく共有したい趣味とかそういうものがあるわけじゃなかった。話題がどんどん上滑りするので頻繁に会いすぎるとすぐお互い飽きてた。
 みっちゃんはたぶんそれに焦ってたんだろう。ある日クラシックのコンサートに誘ってくれて、あたしは内心気が進まなかったけどせっかくだしとそれに乗った。曲目は映画音楽のメドレーで堅苦しい感じとかは全然無くて、むしろオシャレですてきだった。
 ただコールを要求されたり立って手拍子しろと促されたり最後に歌を歌わされたりしてそれが全部あたしの堪忍袋の緒にクリーンヒットしてしまっただけだった。
 歌さえなければ、と今でもときどき思う。何が一番厭だって歌が一番気に入らなかった。それさえなければ、ひょっとして今でもそれなりにずるずるとみっちゃんとのお付き合いは続いていたのかもしれない。
 でもそれも無理だったろうなとすぐに思いなおす。あたしの隣で手を叩いて歌うみっちゃんは本当に心から心底から楽しそうな様子だった。あたしはそのときみっちゃんと共有できることが何一つ無いこと、今無くなったんじゃなくてずっと昔から本当は何にも無くてその状態に初めて今気がついただけだということを知った。

昔々 3

「二つ目は飴玉だった。三つ目はガムだった。
 みんなポケットに入るような大きさのものだ。
 殆ど毎日買い物に行くのだが、その度にそれらがどこからともなく出てくる。母親は見つける度に店員に謝り、店員はレジを打つ。
 最初は子どもに手を焼く母に同情的だった店員が、次第に冷やかになっていく。
 やがて母親は子どもの服のポケットをみんな縫いとめてしまった。
 すると獲物はもっと大きくなった。棒つきキャンディやジュースのパックや袋入りのチップスなどが出てくるようになった。レジを通った後のチェックを怠ると、それらが帰宅してから見つかるのだ。
 一体いつの間にどうやってやったことか、母親も店員も誰ひとり見抜けなかった。
 もちろん母親は毎日のように叱った。子どもが泣きだして話がうやむやにならないよう落ち着いて言い聞かせたことも何度もあった。子どももきちんと聞いていて、悪いことだからしてはいけませんと話を結ぶとハイと返事をした。
 それなのに、レジを通ると何かしらの品物を持っていた。
 一度、何でも好きに選ばせて片端から買い物かごに放り込ませ、大人の両腕に一杯になる程のお菓子や飲み物を買ったことがあった。精算を済ませて店を出て、さあこれで満足したろうと足元の子どもを見ると、買った覚えのないバナナを剥いていた。
 母親はその瞬間めまいを感じてその場にへたり込んでしまった。子どもは少し決まり悪そうに、「おかあさん、たべる?」とバナナを差し出した。
 母親は発作的にバナナを取り上げると言葉にならない何事かを叫びながら両手にぶら下げていた買い物袋と一緒にそばの車道に投げ込んだ。一瞬の内に走ってきた車がそれを轢き、運転手が罵声を投げつけて遠ざかって行った。
 砕けたお菓子と潰れた飲み物のパックの色が鮮やかだった。バナナはアスファルトの上に白く引き延ばされてしみのようになり、後続車に次々轢かれて薄黒く汚れていった。

 消防士は妻の話を聞いて内心頭を抱えた。一体どうすればいいのか全く分からなかった。
 いや、本当はまず医者にでも診せるべきなのは明らかだったが、風邪を診る小児科医は居ても物を勝手に持ってきてしまう子どもを診られる医者の宛がなかった。
 とにかくカウンセリングでも受けられないかと近くの病院に電話してみたが、いずれも断られてしまった。子どもが小さすぎて、専門から外れるからと。
 電話をかけ終えるともう打つ手がなかった。誰にも相談できなかった。何と言ってもまだ分別のつかない小さな子どものことなのだ。
 消防士の妻、子どもの母は日に日に憔悴していった。

 最初は手だった。小さな手の甲。
 お菓子のコーナーで棚に陳列されている品物にそっと伸ばされた手の甲を見たと思った途端、気が付いたら母親はその手をぴしりと小さく打っていた。

ヘアカット

 小学校に上がらないような小さいうちは手間や金を惜しがって親が子どもの髪を切る家庭は多かろうと思う。ウチもご多分に漏れずそうだった。母親は俺の髪が伸びてくると鋏を入れた。
 俺は美意識というものが非常に偏った発達の仕方をしていて、幼少当時色彩の美しさは理解できていたが調和の美というものに頓着がなく、人間の美醜が見分けられない子どもだった。夕焼けを美しいと思う心はあったが人間の美しさに感動したりしたことはついぞなかった。それは単に美しい人を見る機会に恵まれなかっただけではないかと反論されそうだが俺は美が判らないのと同様に醜も判らない子どもで、「不器量」という形容が他の事実無根な中傷とどう違うのかわからなかったし服や髪形が似合うとか似合わないということがどういうことかわからなかった。服は服、髪型は髪型であり、着せ替え人形がそうするように気分で付けかえるものでしかなく、付けかえれば単に服や髪形が変わる、それだけのことだと思っていた。
 当然自分の髪型の善し悪しがわかるわけもなく、目に入らないようにと母親が髪を切るのを機能性の追求という点から単に良いことだとしか認識していなかった。視界が広く見易ければよく、仕上がりの似合っているか否かはどうでもよかった。
 さて、親が子どもの髪を整えようとしていざ切ったは良いが大失敗して大笑いに終わった経験のある家庭は多かろうと思う。河童になったの丸坊主になったのと悲惨な話が引きも切らない。考えてみれば無理もないことで、髪を切るという仕事一つでメシを食う人間がいる程度にはそれは特殊技術なのだから一般家庭の一主婦が失敗するのはある種の必然だ。
 その必然にひきずられて勿論ウチでも失敗した。
 だが先述したとおり、俺はそんなことには無頓着というか、根本的に善し悪しが判っていない子どもだったので、「あらあ失敗しちゃったわ」という母親の叫びも快く許した。前が見えれば問題ないと思っていた。
 ところが母親は自分で切って自分で失敗しておきながら、「あんた変な頭になっちゃったわねえ、ごめんごめん」と言いながら俺を見てひとしきり大笑いしたのである。
 俺のプライドが傷ついたことは言うまでもない。そういった個人的な感情を差っぴいても、他人の髪を自分で切っておいてそれを自分で笑うなどということは道理としておかしい。馬鹿にしている。
 以来俺は母親理容室の利用を断固拒否し、髪が伸びてくると兄貴の尻にくっついて町の美容院についていくことになった。
 美容院は子どもの足でも往復20分とかからないごく近所にあり、当時の母親より10か15くらいは年上の女主人が若い助手をひとり使って切り盛りしていた。ビューティ美容室とかなんとかいう店名の、掃除は行きとどいていてこぎれいだが設備自体の古さは隠しようもなく、一昔前の流行りの髪型のポスターが壁紙と一緒に色あせながら室内にかかっているといった田舎のおばちゃん御用達の店であった。女主人はこうして切るとカッコイイとかこうやって切るとさわやかだとか言いながら「ね、そうしましょう」と半ば強引に髪型を決めてちょきちょきやるのが常だった。善し悪しは判らなかったがこの俺の見栄えについて大人に気をまわしてもらっているのだという扱いに気分を良くして適当におまかせで切ってもらい、さっぱりした後レジで会計を済ますと女主人はいつもお釣りの他に小遣いだと言って100円くれた。俺と兄貴それぞれにくれたので取り合いになる心配はなく、俺は実はこれが一番の楽しみで美容室に通っていた。小学校に上がる前の俺の、お年玉のような大金以外の自由になる数少ない金のうち、最も簡単に定期的に手に入る金がこの100円だった。
 当然母親はいい顔をしなかった。小学校に上がるより前から小銭とはいえ自由になる金があることを望ましく思わなかったのだ。欲しいものがあればその都度買い与えてやり、それが菓子や余計なおもちゃならある程度干渉して我慢や譲歩を学ばせることが必要だと考えていた。それに小銭とはいえ金で子どもを釣るのは教育上望ましいことではなかった。常識的な判断だ。俺も俺の子どもにはそうするだろう。
 だがとにかく当時の俺にはこの100円こそが誰でもない自分の判断で自由にしていい大事な財産だった。もちろん母親には内緒にしたかった。嫌な顔はする方も嫌だろうがされる方だって嫌なものだ。
 ところが兄貴が金に几帳面なやつで(というか二人分のカットの会計を任されていたのだから当然か)、釣りと一緒にこの100円も母親に渡してしまうことが常だった。当然兄だけ小遣いもらって弟はもらえなかったなどという嘘が通用するはずもなく、俺は100円を渡すように毎回求められたのだが、その度にヘアカットに対してそうしたように断固拒否して100円硬貨を守り通していた。母親は毎回ため息をつき、兄貴はたかが小銭で何をそんなに意地になっているんだろうと呆れた顔をしていたのをよく覚えている。結局小学校三年くらいになって町はずれにもっと真新しくセンスのいい美容院が出来て兄貴がそっちに鞍替えするまで俺はそのビューティ美容室に通った。
 その美容室も何年か前、ついに潰れた。古い設備で子どもに小銭をばらまいてまで集客していたという事実から経営状況は推して知るべしといったところだったが、そもそも故郷はかなりのド田舎で過疎がじわじわと地域経済に効いてきており、結局そのあおりを食ったものと思われた。女主人もいい加減高齢でどの道引退は避けられなかっただったろう。
 100円硬貨はしばらく貯金箱にため込みながら、何に使おうかうきうき考えていたものだが、結局何に使ったんだったか忘れてしまった。

五分五分病

【ごふん-ごふん-びょう】
 何かやらなければならないことがあるとき、「あと五分、あと五分…」と唱えて実行のタイミングをうやむやにし、結局先延ばしにしてしまう病気。季節病で、特に冬の朝目覚めた際に発症する率が高い。
 重症者は目覚め→発症→二度寝→目覚め→発症→二度寝→(略)のサイクルで16時間くらい過ごせてしまう、とても危険な病。

スケートのこと

 五年くらい前のこと。
 その年の夏のあまりの暑さに血迷ってある日あたしはもう我慢できないどこか涼めるところへ行きたいと思い立ち、涼めれば何でもいいけどあまりの混雑は勘弁だし避暑のためだけに何日もかけて遠くへ行くのはメンドクサイし第一お金がないとかいろいろなことを勘案した結果、ちょっと電車を乗り継いでスケートリンクへ行ってみることにした。
 プールほどには混んでないだろー泳げなくても水中でちゃぱちゃぱすることは出来るけど滑れないとリンクで出来ることなんて無いし。涼むだけにしちゃ入場料激高だし。とあたしは自分もろくに滑れないという現実を棚に上げて姑息なことを考えたわけだ。
 リンクは結構繁盛していた。小学校の校庭のトラックを三回りくらい縮めた感じのこぢんまりとした楕円の氷の上、二・三メートルおきに必ず人がいる感じだった。普段がどうなのか知らないけど体感で言えばかなり混んでいて、着いて靴を履き替えてロッカーに荷物を入れてイザとばかりにリンクに出るための開き戸を押すと、途端に冷気がひゅっとまとわりついてきて避暑欲求が涼やかな空気に一瞬で満たされて満杯になって溢れ返って、過剰摂取と化した分がコップから溢れたドライアイスの煙よろしく悪寒となって神経を伝ってブワッとあたしの全身を滑っていった。
 寒い。
 真夏だってのに半端じゃない。
 半端なのはむしろあたしの格好で、確かその日はお気に入りのブランドのピタT(半袖)に一応パーカは羽織ってきたけど下半身は軽やかなシフォンスカートを口紅やチークの色と合わせてカワイイコーラルピンクで履いて、あとは生足に足首丈のソックス(スケート靴のため)、以上。みたいなTPOの欠片もない実に涼しい服装だった。だって外は正真正銘の猛暑で暑かったんだもの。
 しかしリンクに入ったあたしは震え上がってた。冗談じゃない。
 こんな寒さじゃそれこそ猛ダッシュして汗かくくらいじゃないと寒すぎて死ぬ。でもリンクは満杯すれすれでとても走るようなスペースないしっていうかもともと氷上で走れないしあたし。え、何これ? まさかの「場の空気で涼むだけ」の避暑コース? 確かに冷気は浴びれたけど、じゃあこれでもう目標達成? 靴代コミでウン千円とか払っておいてもう終わり?
 あり得ないでしょ。
 しかし根性で無理矢理氷上に立ってみたはいいけれど、途端に客足が遠のいてリンク独占状態になるなんて都合のいいことが起こるわけもなく、というかあたし自身にスケートが滑れないという決定的な技術の欠落がある以上仮にそんなことになっても何の意味もなく、あたしは氷をぐるりと囲っている塀に沿って恐る恐る進むのが精一杯でそんな程度のスピードじゃ逆に冷気を浴びに浴びこそすれど体温が上がる要素はひとっつもなくコケるまいコケるまいとする精神的な緊張もあってどんどん無駄に消耗していく有様で、やっと二周したところでギブアップして一度氷から上がった。
 靴の履き替えやロッカースペースを兼ねている控え室の生温い温度が肌にじんわりしみ込んできた。さっきまで居た場所に戻ってきただけなのに天国的に心地いい。冷えきってこわばった指先や鼻先が温んでいく。
 自販機からあったか〜いココアを手に入れ(こんな季節に何で売ってるのか意味が判らないと思っていたその謎はもちろん氷解していた)、しばしぼんやりリンクの様子を眺めながらブレイクタイム。
 う〜ん今日一日でせめて壁から手を離して滑れるくらいにはなりたかったんだけど無理かなあ、ていうか凍傷とかになったりしないかな指先とか耳の先とか、あーでも手袋買いたくないなあそんなカワイくもないのにあの値段だもんなあ、そういえば恥ずかしかったからスルーしちゃったけどこの調子じゃヘルメットつけないとマジでヤバいかなあ借りて来ようかな、と取り留めのないことを考えているうちに氷上をすいすい滑っていく人影にふと目を奪われる。

 女の子が一人滑っている。いや女性はもちろん他にもたくさん滑っているんだけど、その子は一際目を引いた。
 何せスピードがメチャクチャ速い。
 二・三メートルおきでいる人たちを、それは華麗な足さばきをもってして止まってる障害物をよけるがごとく避けてシャーーーーーッと滑っていってしまう。キレのある動き。単なる趣味スケーターにしては鮮やかすぎる。
 そんな風に滑る人は彼女の他にも居ないではない。慣れた感じのおっさんやおにーさんが同じようにしてビュンビュン人の間をすり抜けていくのをあたしは壁につかまってのろのろズルズル行きながら横目で見ていた。
 でも彼らよりも彼女は目立ってた。年の頃はたぶん十歳そこそこ、黒いタイツにちょっと派手なブルーのレオタード、髪は頭の天辺でお団子。真っ白で柔らかくて歯の爪先にギザギザのついた専用の靴。
 明らかにフィギュアスケートを習っている子が、ウォーミングアップを兼ねて遊んでいるのだと見て取れた。
 気がつくと同じような格好の色違いの少女たちが一般客に混じってあちこちにすいすいと色とりどりの残像を引いている。背丈は割とばらばらだが一番大きくても中学生くらいだろうか。流石にジャンプを試みる子は居ないようだが、たまたま空いた広いスペースでバレエよろしく片足をちょっとあげてみたりするのは居る。
 そのうちリンクの管理人のひとたちが、どこからか赤い小さなパイロンをいくつか持ち出してきて、氷の隅っこの一角をそれで囲い始めた。ああ営業時間中だけどお教室が始まるんだ、とあたしは思った。

 冷め始めたココアを未練がましく啜っていると見る見るうちに鮮やかな小柄のレオタードたちがわらわら隅のエリアに集まってきて、すぐに先生らしき大人も氷の上に立つ。
 ここからだと何を言っているのかはほとんど聞こえないけれど子どもたちを集めてたぶん今日のレッスン前の簡単な挨拶とルーチンな諸注意。
 一通りが済んで子どもたちは散開するかと思いきや、思い思いに散るのではなくて何列かの列を作って並び、先生の合図に従って準備運動的な滑りを順番にこなしていく。
 はー華麗なもんだなーそれにしてもあの子ら順番待ってる間とか寒くないのかしらあたしとどっこいの格好なのに、とか思うが、あれだけ猛スピードで飛ばしたのだからちょっと止まっているくらい何でもないのかもしれない。
 そのうちに準備運動も終わったらしく、先生が新たに何か説明しながらエリアのはじっこに寄せていた黒い四角いものを持ち上げる。
 ラジカセ。
 ああ本格的な演技をやるんだ、とあたしはいよいよ目が離せなくなる。子ども向け教室みたいだから派手な技とかはやらないのかもしれないけど、でもあの子らの慣れた滑りから見てもちょっと凄いものが見れるんじゃないか、そんな風に期待した。
 果たして、期待通りだった。
 音はまったく聞こえないが音楽と、あとはたぶん先生の手拍子に合わせて、配置に付いた少女たちが次々と滑り出てきて、スピンしたり飛んだりし始めた。各々がジャンプしたり大きく弧を描いたり、みんなでめまぐるしく交差しては突然ぴたりと背丈の順で列を形成して同時に全員の動きをシンクロさせる。一斉に伸びる手足。
 眼福眼福と能天気に喜びながら(かつはしゃいでいるのを表に出してないかちょっと気をつけながら)自分の滑りのことは忘却の彼方に、これはもう腰を据えて見学しようとモゾモゾ尻を落ち着け直した、その瞬間に事故は起こった。
 あの青いレオタード、小惑星間に優美に尾を引く彗星よろしく客の間を滑り抜けていたあのお団子の子が、ジャンプの着地に失敗して転んで倒れ、背中を打ったのが見えた。
 打ったのは背中に思えたが、そのまま後頭部も打ち付けたのかもしれない。或いはそれとは別に、足を捻りでもしたのかもしれない。
 身動きはできるが起きあがれないようで先生がすぐさま彼女に駆け寄り彼女に続くはずの二番手が慌てて止まって並んで順番を待っていたみんなが彼女たちを囲むように集まってきた。リンク管理の人が二人組で担架をもって駆けつけてくる。

 彼女が運ばれ教室が中止になりパイロンが取っ払われて何事もなかったかのようにリンクはまた元のリンクに戻った。それが気持ち悪かった。
 懲りずに壁際をのろのろ這いずりながらあたしは彼女が担架に乗らなくてはならずあたしがこうして震えながらずりずり汚い蛇行痕を氷に刻んでいられる理由を考えていたが答えが出るわけもなくどうしてこんなことになったのかさっぱりわからなくなった。
 ジャンプに挑む前の助走に入った彼女、実際に飛んだ瞬間の彼女を私は見ていて、覚えている。
 遠目だったしアングルもいまいちだったけどそれは美しい動作に思えた。シルエットが綺麗で洗練されていて無駄がなかった、ように見えた。
 なんであんなことになったのかますますさっぱりわからなくなった。

昔々 2

「消防士は狂喜した。無事産まれた我が子がかわいくてたまらなかったし、妻が愛しくてならなかった。
 妻も愛する人の喜びぶりが誇らしく、嬉しかった。もちろん子どもを宝物のように感じた。
 二人はこれまで互いに対して抱いていた愛情を、同じように惜しみなく我が子へと注ぎ始めた。
 両親に愛されて赤ん坊はすくすくと育った。一年が過ぎ、二年が過ぎ…そのころはまだまだ順調だった。
 夜泣きする、ひっきりなしに乳を欲しがる、親の不在を嫌がり怖がる、微笑みかけると笑い返す。ごく普通の赤ん坊だった。身長も体重も平均を少し上回る程度、これは父親に似たものと思われた。
 そんな些細な相似がかわいくて、消防士は休暇を得るとせっせと息子と遊んでやり、妻を労って愛と感謝を語った。妻は息子を可愛がる夫にいよいよ献身的に尽くし、彼が子どもと触れ合える時間が一分一秒でも長くなるよう、ちょっとした送り迎えの折などにも息子を抱いて出るようにした。
 ありふれた幸福な家族だった。
 異変はその子が立って歩き、言葉を解し、外へ連れ歩けるようになって起こった。
 
 一つ目は小さなチョコレートだった。
 特に凝った味付けになっているわけでもない、茶一色のほんのひとかけで個包装されて売られているもの。一口で食べ終わってしまうような奴だ。
 レジを通った後で息子がポケットから取り出したそれを見て、母親は仰天した。清算にかけた記憶がなかった。
 慌ててレシートを確認すると、案の定記載されていない。
 彼女は子どもを連れてレジに並び直し、代金を支払って店員に丁寧に謝った。子どもにも頭を下げさせ、店員に対して謝罪するよう叱った。子どもはたどたどしく「ごめんなさい」を言い、店員は親子が自分から名乗り出て来たこともあって単なる過失と見なし快く許した。通常同様にレジを打ち、チョコレートを清算した。
 母親は生きた心地がしなかった。幸い許してもらえたものの、二度とあってはならないことだと思った。
 家に帰るとさっそく子どもを問いつめ、子どもは理由や状況を説明するより先にその剣幕に気圧されて泣き出した。泣かせてしまってから母親は自分が悪手を打ったことに気づき、その場では追求をやめにして「それはしてはいけないこと」ときつく言い聞かせるにとどめ、あとは泣き止むまであやしてやってからいつも通り夕飯の支度に移った。
 夫に相談したかったのだが、生憎と当直番に当たっていて不在だった。

悪事に加担したくない病

 潔癖症の一種。「持ちつ持たれつ」へのアレルギー。
 自らの置かれた環境やそれに伴う行為の帰結を過剰に引き受けようとし、同時に「これ以上は不可能だ」と病的に思い込んだある時点からは一切を拒絶・放棄するに至る病。

 生きていく上で生じる諸々の面倒事の解決に際し、他者の手を煩わせることを是とせず出来る限り個人において処理するよう求められて生きてきた人間が、自分が(無自覚のうちに)それらを他者に負わせておりまた負わせざるを得ないと気づくことで発症する。
 具体的には、屠殺業を見学する、環境汚染や途上国の生活環境及び自国の非正規雇用者や生活困難者に関するノンフィクション文書を読む、或いは自分の属する会社の最大収益部門の労働環境の劣悪さ(の加速)に自分の業務が大いに関係していることを知るなどすると発症に至る。
 「最善を尽くすことをもってしても或る他者に多大なる害悪を与えることが原理的に避けられず、またその害の最小化もほとんどなされ得ない。かといって全く何もしないことを選択すると一個体として自分が死ぬ上、空いた穴は別の他人が埋めるので結果としては何も変わらない。なお半端に行動すると個体としての自分を危機にさらした上に他者に害悪を与える最悪の存在となる」という認識から来るジレンマにとらわれ、何かを行うことの生産性や他者への寄与、及び他者が同様にして己にもたらす寄与・害悪を正確に測れなくなり、無気力・虚無的無力感に苛まれ、ありとあらゆることが手につかなくなる。症状が進むと自分の行動ではなく生存そのものについて同様に思い悩むようになり、「死なないでいい理由を必死に数え上げる」ようになる。

 対処療法は、芸術や哲学やその他非生産的逃避行為にふけることで善や悪に関しての責任や担保といった概念を揺らがせ、捨てること。また同様の問題について思い悩んでいる他者と接し、解決について夢想すること。或いは自分が他者に及ぼしている寄与や他者が同様に自分に及ぼしている(はずの)害悪についての認識を改め、客観的視点を取り戻すこと。これらにより問題自体が(一時的に)消失する。
 一方根治療法は二重三重の意味で困難を極める。すなわち、問題の根本は自己の行動の結果や環境に関する責任を行動主体である自分がすべて負うものとする前提からくるため、解決とはそれを崩すものである。しかしこれを前提としているのはいち個人の価値観というよりもそこに内在化された社会的な要請であるので、この問題を「解決」することは社会的な要請を否定することにつながる。その結果として発症者は自身の価値観に基づいて打ち立てた善悪の基準に固執し、社会参加が極めて困難或いは不可能となる可能性がある。またこの「解決」はそれ自体が社会的な要請の拒否という「悪事」であるために、発症者が治療放棄に至る場合もある。