泣くなよ。

うそ。泣いてもいい。好きにしていい。っていうか泣け。遠慮せず好きなだけ泣いていい。俺も泣く。率先してベソをかく。

昔々 4

「手の甲が毛糸の帽子をかぶった頭になり、髪に輝く天使の輪を戴いた素の頭になり、小さな肩を小突くのになりふっくらした顔をつねるのになり細い髪を一つかみ引っ張るのになったのはいつだったか、母親はもう思い出せない。
 あっという間だったのは間違いない。
 あっという間にほんのよちよちだった子どもはもうずっと大きくなって、もう幼稚園に上がっても何らおかしくない年になってしまった。
 それなのにあの癖が治らない。
 いつか菓子類を買い物袋ごと車道に放り込んで以来、母親はどんなものを持ってきていようと再精算して買い取るのをやめた。謝ることで許されて結局は買い与えられてしまうから子どもがつけ上がるのだと考えた。
 レジを通った後で何か出てきたら子どもをにらみつけ、一切口を利かず目も合わせないようにした。時にはその場に置き去りにして一人店から去ったこともあった。
 子どもは必ず泣きわめいて詫びの言葉を口にし、売り場に菓子を戻しに行きさえしたが、母親は二度と振り返らなかった。
 菓子やジュースのコーナーに、そもそも彼女は近寄りもしない。
 調味料やパンや肉や魚や野菜売り場に移動するときに通過さえしないようにしていたし、子どもがふらっと吸い寄せられそうになると無言で腕を引き戻して叩き、つねり、髪を引っ張った。
 それでもあの癖が治らない。
 今や全ての店員が冷やかになっていると感じた。どこのレジに並んでも刺すような視線があり、カゴの中身を全て読み取り機に通した後でも「他にお品物はありませんか」と必ず聞かれるのに気づいた。子どもの悪癖が、許され得ないものになろうとしているのを感じた。
 この界隈でまともな買い物ができるのはこの店だけだ。他を探せばずいぶん遠くまで足をのばさねばならない。

 ある日母親は、救急箱の底から包帯を取りだした。
 そして「ママは買い物に行かなきゃならないの」と繰り返し繰り返し呟きながらそれで子どもの両足を縛り、子どもを置いて買い物に出た。
 自由の利かない状態で置いていかれる恐怖に泣き叫ぶ子どもの声が聞こえたが気にならなかった。