泣くなよ。

うそ。泣いてもいい。好きにしていい。っていうか泣け。遠慮せず好きなだけ泣いていい。俺も泣く。率先してベソをかく。

昔々 5

「久々の買い物はどうだったかって?
 快適だった。
 あの子がいなければ、彼女は普通の、どこにでもいる一般的な主婦にすぎない。
 普通に品物を選び、普通に精算を済ませ、普通に、誰の目をひくこともなく店を出ることができた。そう思えた。
 とても快適だった。思ったより時間もかからなかったし、上出来だ。そう思えた。

 家に帰ると惨状が待っていた。
 子どもはずっと泣き続けていたのだろう、声がカスカスに枯れた状態で、それでもまだ声なき声で叫びながら涙を流していた。足の包帯はほんのちょっと緩んでいたがほどけてはいなかった。念のため子どもは部屋の中央に座らせ、その部屋にはちゃんと鍵をかけて出かけたのだが、帰ってきてドアを開けたらそのすぐそばに子どもが転がっていてもう少しで開けたドアが直撃するところ、カーペットのあちこちに涙だかよだれだかの跡と思わしきシミがつき、部屋の中に置いていたボックスティッシュの箱からティッシュが全て引き出されてそこここに散乱していた。感情任せに引きむしったのか、それともまさか床につけたシミをなんとかしようとでもしたのかは定かでない。
 母親は真っ青になって転がっている我が子を抱き上げ、しっかと抱きしめた。子はその首にぎゅうとしがみついてやっと声にならない声で叫ぶのをやめ、ただしゃくり上げながら泣き続けるだけになった。足首の包帯をほどくと真っ赤な痕になっており、特に強く包帯が擦れたのだろう、擦り傷様になっている部分もあった。母親は、二度とこんなことをしてはならない、もう絶対にこの子をこんな目にあわせてはならない、と自らに強く強く言い聞かせたのだった。

 もちろん翌週には決心は鈍っていた。それほどまでに一人で出かける買い物は快適だった。しかし我が子をふん縛って置いていって大泣きさせるのはどう弁護しようと虐待だ。
 どうすればいい?
 ただ部屋の鍵を閉めておくだけでもいいだろうか。そう、縛らなければいいのでは。手足の自由が利くのならあの子も落ち着いて待てるのでは。
 実験してみたがダメだった。息子はもうドアノブに手が届くし、簡易鍵だって開けられる。そもそも不自由だけが恐怖の源ではないのだった。彼が恐れているのは母親と離されること、自分の見えないところに母親が消えてしまって泣いても喚いても二度と戻ってこないかもしれないことなのだ。
 こんこんと理を説けば、必ず戻ってくると約束してその証を何か与えてやれば、おとなしくお留守番ができるかもしれない。
 しかしこれもダメだった。説得どころか「買い物」のキーワードが出ただけで激しく泣き叫ぶようになっていた。トラウマになっているのが火を見るより明らかだった。
 ではやはり連れて行くか。これは母親の方がトラウマだった。この子を連れてあそこに買い物に行くくらいならいっそ餓死したい、と真剣に望んでいる自分に気づき、母親はぞっとした。
 結局は包帯とガーゼが解決策となった。わめきながら逃げ回り、縛ったそばからひきちぎろうとするので、もはや足だけの拘束では足りず、手枷とガーゼをかませての猿轡が追加となった。スーパーで良く効く軟膏を物色してこなくては、と、母は脳内の買い物リストのトップに載せた。

 翌々週には子どもはすっかり慣れて、あの号泣が嘘のようにおとなしくなった。母親が必ず買い物からは戻ることを学習したらしかった。
 それでもやはり母と離れるのが嫌で、買い物に行くと言ったときは毎回必ずついて来たがった。母親は「連れて行くことはできないの」と言い続けたが納得しないので、結局毎回拘束を行う羽目になった。
 これが一種儀式のようになり、子どもは拘束されることを「母親は必ず戻ってきてこれをほどく」という約束の証として受け止め始めた。